院長プロフィール 鹿児島内司治療院
鹿児島で唯一、突き詰めた高度な整体技術が出来る整体師
九州で稀有な手技(手技研)を扱うことが出来る整体院
内司治療院 院長 内司和彦(ないしかずひこ)
出身校:日本指圧専門学校
資格:あんま・マッサージ・指圧師
整体師歴:25年
施術人数:延べ60,000人
病院で手術が必要と言われた脊柱管狭窄症の改善例も多数あり。
ごあいさつ
HPをご覧いただき、ありがとうございます。
内司治療院・院長の内司和彦(ないし かずひこ)です。
整体師になり25年が経ちました。
2016年現在で述べ60,000人以上の施術を担当致しました。
皆様がより良い生活を送るために、健康・幸せ・快適・充実・能力の向上・その他良い事を提供したいと思い開業致しました。
世の中には様々な治療方法がありますが、私は『手技』『手技研』と言われる治療をしています。
治療内容を簡単に言えば整体治療(体を真っ直ぐにし、症状を改善する)ですが、体の見方・やり方・考え方が大きく違います。
何故、『手技』で治療をしているかは、私の治療目的であります”体が良くなること”を本当の意味で追求している治療だからです。
人間の体には自然治癒力があります。
『手技』は、自然治癒力を最大限に引き出す治療方法です。
この『手技』を扱うのは非常に難しく私もだいぶ苦労しました。
今の技術を身に付けるまで根気の一言で邁進してまいりました。
全国的に、この『手技』で治療をしている先生は少なく、特に九州では私の他に1人か2人ぐらいです。
なので、殆どの患者さんが初めて体験されています。 (高度な技術を要する為、勉強しても挫折をする先生が多い)
この『手技』の素晴らしさは、何よりも体の歪みが本当の意味で整って行く事、自律神経が整う事、治療効果が長持ちする事、少ない回数で症状が改善する事、弱い刺激で治療する為患者さんの体を痛めることが無い等です。
・背骨(体全体)が整うことで背骨の圧迫が無くなり、神経の働きが良くなります。
・筋肉が緩むことで体が楽になります。
・血液の循環が良くなり、呼吸が深くなる事で早く回復します。
・自律神経が整うことで、ホルモンのバランスが良くなります。
以上の事を短い時間で変えることが出来ます。
技術の追求に終わりはあリません!
内司治療院はこれからも”体が良くなること”を追求し続けます。
*昨日よりも、今日はさらに上手くなっています。
腰痛
肩こり
膝痛
むち打ち
捻挫
靱帯損傷
顎関節症
不眠
ストレス
自律神経失調症
慢性疾患
野球肩・野球肘
スポーツ障害
O脚・X 脚
イキイキとした老後
不定愁訴
その他、ご相談ください
私の使命
私は、小さい頃から人に喜んで頂けることが大好きです。
人の役に立つ。
人から必要とされる。
その為に、今でも努力をする事は惜しまないです。
私は、この整体の仕事を天職と思っております。
その仕事に巡り合えた事は本当に有難く、幸せです。
来院されるクライアントに、少しでも体が楽になって頂こう、少しでも心が豊かになって頂こう、少しでも役に立てられたらといつも考えております。
しかし、人が人を治す事は出来ません。
治せないのです。
治療という言葉を使ったり致しますが、あくまでも症状の回復のお手伝いです。
その為に、あなた様の体の状態を良くしたり、あなた様に知識を与えたりと、とにかくより良くなる為に全力で施術やお話しをさせて頂きます。
そして、少しでもあなた様に喜んで頂ける。
さらに言えば、来院されるあなた様に留まらず、家族は勿論、同業者、友人知人などなど・・・ご縁のある方々へも、少しでも喜んで貰いたいと考えます。
院長内司について
出身地 |
鹿児島県いちき串木野市 |
出身小学校 |
串木野市立串木野小学校 |
出身中学校 |
串木野市立串木野西中学校 |
出身高校 |
川内実業高等学校 |
血液型 |
AB型 |
性格 |
温厚 |
趣味 |
学ぶ事、食べる事、子供の習い事観戦 |
特技 |
野球、間違い探し、クライアントの体の情報を記憶する事 |
休日の過ごし方 |
東京や大阪の手技研修会や気になるセミナーで学ぶ・子供の習い事観戦。 |
好きな食べ物 |
カツカレー・焼き肉・ラーメン・牛タン |
好きなスポーツ |
野球・サッカー |
好きなTV番組 |
Youは何しに日本へ? |
好きな音楽 |
洋楽 |
好きな著者 |
中村天風 |
好きな著名人 |
イチロー、三浦 知良 |
今ハマっているもの |
お掃除 |
目標 |
縦巻き横巻きの法則の世界認知 |
メルマガ |
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院長の生い立ち
1970年1月誕生。
好奇心旺盛な幼児期だったと思います。
小3からソフトボールを始めました。
そして、 中学・高校生まで野球に夢中でした。
中学3年生の時に練習のやりすぎで背中を痛め、当時は指圧を受け、何とか痛みを乗り切りました。 その時に、体を治療する仕事があるのかと知り興味を持ちましたが、まさか自分がこの仕事をするなんて!ぐらいにしか思いませんでした。
その後、東京で映像技術の職業に就きました。
その映像技術の仕事は睡眠時間が少なく休みも少なかったですが、毎日が楽しかったです。
しかしある日、会社の先輩に「内司、お前はカメラが好きか?」と言われました。
その時、好きです!と言えない自分がいました。
私は、仕事は好きでしたが、カメラが好きでない事に気が付きました。
それから自分の将来を考える毎日でした。
しかし何度考えても、10年後に自分が映像技術の仕事をやっているイメージが沸かなかったのです。
そこで決心をし、映像技術の仕事は辞めました。
仕事を辞めてからは、これから何をしようか?随分と悩みました。
東京の4畳半の部屋でこもって考えておりました。
するとある日、高校生の時、今の仕事(治療・指圧・整体)に興味があった事を思い出し、ビビッと来ました。
そしてスグに本屋へ行き、どうやったら治療の仕事が出来るのか?調べました。
すると専門学校へ行き、国家資格をとらないとならないと書いてありました。
22歳の時に日本指圧専門学校へ入学。
25歳で卒業しました。
学校は、指圧で一世を風靡した浪越徳次郎先生がいる日本指圧専門学校でした。
その後は鎌倉のある先生に修行をさせてもらい、今の技術を身につけ、27歳で地元に帰り開業、現在に至ります。
*現在も、毎月東京や大阪へ行き学び続けております。
私は、何事もキッチリと自分が納得いくまでしないと気がすまない性格をしております。私を信頼し、安心して内司治療院へお越しください。
苗字について
私の苗字の事をお話し致します。
患者さんによく、内司治療院の内司は苗字なのですか?とご質問があります。
内司(ナイシ)は、苗字です。
*ナイジと発音している方もおりますが、血縁関係にあります。
内司姓は大きな二つの流れがあり、私は江戸時代に先祖が神社の巫女を代々していた家系です。
本家とは役200年前に繋がっております。
平成16年のデータですが、全国に世帯数が34戸とありました。
全国には、およそ120人の内司姓の方がおります。
*現在はもっと減少しており、100人を下回った可能性があります。
内司の言葉の発祥は古く、古代中国で発祥致しました。
文献から紀元前からある様で、中国のお寺の秘書的な仕事、神様へ仕える人、皇帝の秘書的機関など、秘書的な意味合いを持つ人や場所を指すようです。
*古代中国では、大事な場所や人をナイと発音していたそうです。
大事な人、大事な場所(ナイ)を司(ツカサド)る。
日本でお寺が建てられた時に、その内司という言葉が一緒入って来たと思われます。
その後内司という言葉は、中国と同じようにお寺の秘書的な立場にあったようです。
その名残で、今でも京都や奈良の古い大きなお寺では、秘書的機関を内司室とか内司課と呼んでいるお寺があります。
また、日本の皇室でも内侍司(ないしのつかさ)という天皇のお世話をする機関が出来ました。
これは、中国の内侍(ナイシ・ナイジ)省という皇帝へ仕える機関をモデルにしている様です。
内侍司は、女性がメインの機関でした。
その中のトップを内侍(ないし)と言っておりました。
次に、その「ないし」という言葉は神社でも使われる様になります。
広島の厳島神社がおそらく最初だと思います。
皇族がお参りに行く様になり、神社内で部署が整備され、厳島内侍(巫女)と呼ばれたそうです。
その後、全国の神社でも巫女を内侍(ナイシ)と読んだりした地域があったそうです。
時は流れて江戸時代。
江戸時代は、神様と仏様が一緒(神仏習合)に祭られていたケースが多かったです。
神社に仁王さんがいたり、お寺に鳥居があった時代です。
私の先祖は神社の巫女を代々しており、祭祀では降霊をし、お告げをしていたそうです。
昔の巫女は霊能能力があったそうで、神の妻とか、巫女自体を神様と呼んでいたそうです。
私の先祖が巫女をしていた神社は、鹿児島県南さつま市にあります。
祭神は天之御中主(あめのみなかぬし)です。
先祖は熱心な仏教徒だったと調査をしたときに、近隣の方から聞いたことがありました。
当時は、神社の巫女と熱心な仏教徒が結びつかなく???でしたが、神仏習合の事を後に知り、解決致しました。
しかし、まだ問題が。
内司姓が発祥した起因でした。
① 神社の内侍(ないし) ⇒ 内司姓?
② お寺の内司(ないし) ⇒ 内司姓?
実は、歴史的に鹿児島県南さつま市の海沿いや川沿いは、貿易の拠点となっておりました。
密貿易が行われていた歴史があります。
その密貿易で薩摩藩は膨大な利益を得て、藩の財政を安定させ、また、明治維新では長州と共にリード致しました。
お金がないと大きな事は出来ないですもんね。
*薩摩藩に利益をもたらす貿易の商人には、藩から刀や京都から綺麗なお嫁さんを褒美で与えられた言い伝えがあるそうです。
内司家の先祖が暮らしていた地域には、中国の貿易の商人が住んでおりました。
貿易で日本に入って来た中国の商人、または、日本から中国へ行っていた商人経由からダイレクトに、中国のお寺の秘書的な内司の存在が伝わり、江戸時代に神社の巫女を代々していた先祖がその言葉を苗字として使った可能性が高いかもしれません。
内司姓が発祥したのは全国の中で、この地域の私の先祖の一例だけです。
なので、特殊要因が高いです。
*先祖に聞ければ一番いいのですが~。
こう言った事はロマンがありますね。